共にNYハーレム出身で、共になかなかチャンスをつかめないでいた男性シンガーとHIPHOPの若きクリエイターが出会ったことで、R&Bシーンの歴史を変える新しいサウンド・スタイルが生まれることになります。
 シンガーの名前はキース・スウェット。 証券マンをやりながら、ナイトクラブなどで歌手活動を並行してやっていました。 
   1985年にはスタジアム・レコードというインディーズからシングルをリリースしています。この時すでに25歳でした。
 

 クリエイターの方は、テディ・ライリー。おじさんがハーレムでクラブを経営し、スタジオも持っていたために、幼い頃からそこに入り浸ったこともあって音楽的に早熟だったようです。 
 17歳で「KIDS AT WORK」というグループでメジャー・デビューもしますがすぐに解散してしまいます。 
   
 それからは、ヒップホップのトラックメイカーとして 活躍することになります。
 1986年にはクール・モー・ディーの「Go See The Doctor」という曲をプロデュースし、インディーズながらビルボードチャートで89位まで上がるヒットになりました。

  いまあらためて聴き直すと、”ハネているリズム”に、テディ・ライリーが生み出したあの”新しいサウンド”の原型が既に現れていたことに気づきます。

 ニューヨークのクラブシーンで知名度を上げていたふたりはお互い面識があったようですが、キースのデビュー作を共同で作りを始めることになります。

 興味深いのは、それまでテディはヒップホップしか作ったことはなく、声がかかるまでR&Bをやるつもりはなかったということです。 キースとの仕事で初めてR&Bをやることになり、彼はクインシー・ジョーンズ、プリンス、ジェームス・ブラウン、ギャンブル&ハフ、カシーフ、エムトゥーメイなどを研究し吸収していったようです。

「ラップのプロデューサーで僕が学べる人はいなかったから、ラップは自分だけでやっていたけど、R&Bはそういう人たちの曲をたくさん聴いて学んでいったんだ」 

  今の時点で振り返ると、当時のテディの作ったラップものはあまりHIPHOPっぽくない、という評価もあるようですが、誰からも学ばずに我流でやっていたので仕方ないともいえます。また、彼の適性もR&Bのほうにあったのかもしれません。

 でも、当時のHIPHOPサウンドにモロに影響を受けず我流だったとことが、 かえって新しいサウンドを作る大きな要因になったのではないかと僕は考えています。

 その新しいサウンドとは”ニュージャック・スウィング”。それを世に知らしめたのがキース・スウェットのデビュー曲「I Want Her」。1987年後半発売で1988年には年間最も売れたR&Bシングルになります。 無名の新人がそこまで成功するわけですから、それだけ当時斬新だったわけです。



  この曲の収録されたアルバム「Make It Last Forever」もR&BチャートNO.1になります。 
 ただ、あらためてこのアルバムを聴くと「I Want Her」が異色で、基本ミディアムからスローの曲で構成されています。前回ご紹介したように1987年は、セクシーでロマンティックなミッドかスローな曲をやるというのが主流で、ニュージャックの出発点と思われているこのアルバムも、全体的にはちゃんとそれに準じた作りになっているということです。キース本人の嗜好もそっちだったと思われます。
 そして、その後のキース・スウェットの歩みを見ていくと、セクシーで”まったりした”楽曲でR&Bの帝王の一人になっていきます。決して"ニュージャック・スウィングのアイコン”にはなりませんでした。

 「I Want Her」はキースがテディに”ノせられて”やったようにも思えます。

 そして、この曲でテディは絶妙なディレクションをします。

 「わざと鼻にかかった声で歌ってほしい」

 とリクエストしたらしいのです。キースは最初は拒否しましたが、結局要望に応えます。

 思い出してください。87年の男性R&Bシンガー、ほぼ全員が、おしゃれで、セクシーで、ロマンティックな、ミディアム・スローを歌い、大衆もいい加減飽きてきたところに、”やたらリズムがはねているノリのいいトラックに乗った鼻声の男の歌”が聞こえてきたら、そりゃあ無茶苦茶目立ちます。

 キース・スウェットの個性を考えたら、テディ以外のクリエイターと組んだら、1987年に量産された"セクシャル・ヒーリング系”のアーティストと同じようなサウンドになっていた可能性だってあったと思います。テディのトラックはミディアムやスローでも、すでに熟(こな)れた感のある当時の他のR&Bに比べて、リズムのエッジが妙に立っていました。

 それを考えると、キースとテディの邂逅、そして既存のスタイルが飽和状態で体臭が飽き始めていた1987年というタイミング、すべてが絶妙にハマったと言えると思います。

 そして、ニュー・ジャック・スウィングは、90年代にR&BとHIPHOPが融合する以前の、最後のR&Bサウンドという見方もありますが、今検証してみると、HIPHOP畑のクリエイターとR&Bシンガーの化学反応ということでは、HIPHOP SOULの前ぶれ、でもあったのだと僕は考えています。

 キース・スウェットも、脱”セクシャル・ヒーリング”、脱”ロック・ミー・トゥナイト”に成功し、かつ現在の”R&Bの王様”R.ケリーの登場への道筋を作った、重要な存在であったと思います。
 90年代のR&Bの王様はフレディ・ジャクソンとルーサー・ヴァンドロスでした。90年代半ばから現在まではR.ケリーの超長期政権が続いています。その間に、キース・スウェットを置いてみると、王座の移行がとてもスムーズに見えてきます。

 R&BがHIPHOPに吸収されてゆくという、歴史的な大きな大変革の時期に、キース・スウェットとテディ・ライリーは重要な橋渡しの役割を担ったのだと僕は考えます。彼らが活躍したからこそ、その移行がスムーズになったのです。

 テディがキースに指示した「鼻声ディレクション」というのも、トラックを生かすボーカル・ディレクションという意味で、R.ケリーが得意とするヒップホップ・シンギングの先駆けだったのではないか、とも思えてきます。もちろん、テディやキースは作品を面白くする、ためだけのふるまいだったのでしょうが。
 最後に「Make It Last Forever」のタイトル曲を。今ではR&Bの定番曲のひとつ。あらためて聴くと
トラックは当時の”セクシャル・ヒーリング調”のマナーにけっこう従順に作られています(リズムは大きめですが)。でも、当時フレディ・ジャクソンたちと全然違って聴こえたのは、テディのトラック以上にキースの声質が大きかったのかも、という気もします。


Make It Last Forever
Keith Sweat
Rhino Flashback
2011-06-21