bio_piano

ハッシュ・プロダクションズ関連のソングライター/プロデューサーでカシーフ、ポール・ローレンスの他にもう一人とあげろと言われれば、やはりバリー・イーストモンドになるでしょう。
 両親兄弟全員楽器を嗜むという音楽的な環境で育った彼は、クラシック・ピアノの教育を受けジュリアードで理論や編曲なども学びます。また、並行してバンドのキーボーディストとしてたくさんの経験を積み、卒業後は様々なアーティストのツアーのミュージカル・ディレクターを始めます。そのアーティストの中にメルバ・ムーアがいました。アルバムを制作している彼女に、あなた曲は書かないの?と声をかけられて1曲彼女に聴かせたところ気に入られアルバムに収録されます。そして、彼女からカシーフやポール・ローレンスなどを紹介されます。時にポールと仲良くなり、多くのことを教わったようです。

   あるときポールから今度デビューするシンガーとしてフレディ・ジャクソンを紹介され、曲を書いてみないかと言われます。ポールはすでに売れっ子で自身のソロ・アルバムも制作中だったので、フレディのアルバムを作る時間があまりなかったのです。フレディの歌声を聴いて魅了された彼は家に戻り曲を書き始めます。わずか1時間半で一気に歌詞も曲も書き上げたそうです。 

 それが、「ユー・アー・マイ・レイディ」。フレディのセカンドシングルでR&Bチャート1位、ポップチャートでも12位。これはフレディにとってポップチャートでの最高位です。
 この曲で聴けるドラム・マシーンTR808は、当初彼の作るサウンドのトレードマークでもありました。



 アルバム「ロック・ミー・トゥナイト」は表題曲はポール・ローレンス作でしたが、アルバム収録曲8曲中共作を含めて6曲がバリーの曲になりました。



 フレディ・ジャクソンのレコーディング以前に、バリーがキーボード、ストリングス・アレンジとして参加し1曲提供していたアーティストがその頃ブレイクしていました。
 それが、ビリー・オーシャンです。70年代から活動していたベテランで、81年には「Nights(Feel Like Gettin' Down)」といったスマッシュ・ヒットもありました。当時、個人的に好きな曲でした、、。

   

 彼はJIVEという当時の新興レーベル(後にはR.ケリー、バックストリート・ボーイズ、ブリトニー・ズピアーズなどで大儲け?しました)に移ると「カリビアン・クィーン」でいきなり全米1位を獲得します。これがマイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」の尖ったところをなくして,より大衆的にわかりやすくしたような、技あり!、な曲でした。こういうのは宇多田のあとの倉木麻衣のように、業界的には定石ではあります。

 そして、ブレイクしたビリーの次のアルバムを全面的に任されたのがバリー・イーストモンドでした。JIVEという会社が当初からマーケティングに長けていて、ビリー曰くラジオのフォーマットも細かく分析してどういうタイプが売れるか研究していたようです。そして、その結果このアルバムではぐっと都会的なポップ・ナンバーとバラードを中心に組み立てて、結果的に前作以上に売れました。1985年、86年あたりというのはそういうムードの年でした。80年代前半のにぎやかさに疲れたのか。ちょっと耳障りの良いロマンティックなものが好まれていました。カシーフですら86年にはバラードを中心にしたアルバム(LOVE CHANGES)を作り、好リアクションを得ています。

  このアルバムでは彼が書いた「サッド・ソングス」というバラードが、ポップ、R&B両方でNO.1になっています。R&Bの枠を超えたスタンダードなバラードで、彼のメロディーメイカーの資質がよく出ています。もう1曲「ラヴ・イズ・フォーエバー」というバラードのシングル・カットされヒットしましたが、こちらも同じテイストで、白人が書いたと言っても誰も疑わないようなメロディーです。
 またこの2曲では彼が当時好きだったTR808は使わず生ドラムにしているのも、スタンダードな仕上がりになっているいる要因だと思います。
 他の収録曲はシンセとドラムマシーンで構築したものになっています。しかし、R&B感はぐっと薄まっています。正直、R&Bファンには喰い足りないものだとは思います。しかし、カシーフ、ポールが作り上げたシンセとドラムマシーンのサウンドを彼らから学んだバリーがよりわかりやすいものに改良して、それが世界中に聴かれた、ということでもあると思います。

 何よりもメロディ・メイカーであり、R&Bの枠をこえた音楽の素養を持ったバリー・イーストモンドはその後もアニタ・ベイカーなども手がけ、洗練されたメロディアスな作風で活躍し続けます。R&Bにこだわったポール、そして、パイオニアのカシーフすら失速した後も。

  では、ビリー・オーシャンのアルバムから、バリーがハッシュ・プロダクションズの仕事で身につけたものの名残を感じるミディアム・ナンバーをどうぞ。